第九回 学を修め、業を習い、以て智能を啓発し、特器を成就し、

「学を修むべき事」:国家有用の者になるには学問を修め、業務を習い、己の知力を啓発することが必要だが、それだけでは道徳的人物として完全にはなり得ないので、修徳に努力せねばならない。人の世に処し、国家に貢献するためには道理を弁じ、己の活動を正確にしなければならず、それには智識を開発するために学問を修めねばならない。特に帝王たる者は、学問を修め、帝王としての努力を養成せらるべし。この種類の学問を帝王学と称す。

「業を習うべき事」:学問を修めて道理を知っても、これを実地に応用しなければ効果がない。ゆえに富貴貴賤の差別なく何か一定の業務を習い、国民としての本分を完うすべし。世界の列強が日々激烈な競争をする今日、一日の怠惰は一日国運の退歩を意味する。国民たるもの各自の職に勤勉怠らず、国力の発展に資すること。国民は、職業を以て貴賤なりとするような昔の弊風を一掃せねばならない。いわんや職業間に高卑の差を付するにおいてをや。

「以て智能を啓発し」:学を修めて業を習う理由は智能を啓発するためである。世界各国は科学の発展を競い、学術全般を研究することで民心の科学的精神を涵養している。我国の科学的文明は日が浅いが、西欧の数世紀の学術を半世紀で消化した。これは知的鋭敏な国民性による。

酔欧家は「日本人は模倣的民族にして創造の才なし」というが、これは時代と社会状態を顧みない論である。世界が知らぬ時代に関孝和は微積分を、伊能忠敬は測量術を発明した。中国の儒学や印度の仏教が今や日本の学や仏教となっていることも、大和民族が知的鋭敏な証拠である。

「徳器を成就し」:人が万物の霊長である所以は、人としての徳性を具備するにあり。俊才も博学も、善良なる道徳的品性がなければ真の人とは言い難い。「中江藤樹」「二宮尊徳」を見よ。

第十回 進んで公益を広め、世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に遵い、