この発見をきっかけに、色覚を巡る大論争がはじまります。
というのも、同じような色覚の奇妙な表現が、キリスト教の「聖書」やバラモン教とヒンドゥー教の聖典と知られる「ヴェーダ」にも存在することが発見されたのです。
たとえばヘブライ語で書かれた聖書にも「恐怖で顔が緑に変わった」という表現が登場し、インドのヴェーダは天空の描写が至る場所にあるにもかかわららず「空の青さ」については一度も書かれていません。
同様の青不足はイスラム教のコーランにもみられることが判明します。
なぜ古代の人々は青や緑の描写が変なのでしょうか?
まず最初に登場した説は、叙事詩を書いた作者が色弱だったとするものでした。
あのニーチェも「古代ギリシャ人色弱説」を支持したと言われています。
しかし問題となる色彩表現は古代ギリシャの叙事詩だけでなく聖書やコーランなど複数の異なる作品に及んでいます。
もし色弱説が正しいならば、これら全ての作品の著者が色弱でなければなりません。
そこで次に唱えられたのが、進化説でした。
これは私たちの目の色覚を司る網膜が古代から現代に向けて、より多くの色を認識できるように進化した可能性があるとする説です。
ですが進化説が正しい場合、人類は数百年~数千年という極めて短い期間で、色覚を多様化させたことになります。
またどんな要因が色覚の多様化を促したかも、不明でした。
しかし答えは意外な場所からもたらされました。
当時、ヨーロッパは世界中の「未開地」へと進出を繰り返すかたわら、未開人たちの情報も収集していました。
そのなかに未開人の色覚を示す言語が異常に少ないとする、奇妙な例が含まれていたのです。
そこで研究者たちは各地へ質問状を送り、データ収集を行いました。
結果、色の表現に「黒・白・赤」や「黒・白・黄・緑」など限られた言葉しか存在しない言語があることが判明。
たとえばある言語では、ヨーロッパ人が緑だと考える色は黒や青と呼ばれていました。
