オウム真理教が済んだ話とされた割に、日本の社会に信者や宗教への誤解と偏見が根強く残った。このような世の中で、彼女は人々の暮らしが追い詰められていった時代を生き抜いてきた。激しく嫌い、厳しく反省を求め、すべてに従っても許そうとしない世間が、自分たちの無関心と失敗には甘かった。人は等しく愚かなのを認めようとしない、だからこうなると彼女は言った。
このときの彼女の言葉が、仕事場の大掃除で見つかったフィルムを見た感想に影響を与えている。
東京タワーでのスナップから11年後、民主党政権が誕生する。世の中は埋蔵金と事業仕分けに興奮したが、瞬く間に口蹄疫の混乱に落ちていった。前述のように収入が伸びず、家計が苦しみの底で喘ぎ、ずっと自殺者が3万人台で推移していたというのに、野田佳彦が消費税の税率を5%から8%、10%へと2段階で引き上げると決めた。
震災と津波によって原発事故が発生したときは、送電線で届く電気を呑気に使っていた首都圏の人々が被災地を責めた。東京タワーから電波を飛ばすだけでなく、きれいにライトアップするための電力も頼り切っていた人々と政治家が被災地を追い詰めたのである。
放射能と被災地を穢れとした後は、安倍晋三を諸悪の根源とした。それはもうオウム真理教の麻原彰晃のような扱いだった。安倍は殺された。でかしたと言い出す輩まで登場した。しかし、それでどうなったのか。
「安倍さんだけでなく、いったい何人の方が亡くなったのでしょうか、殺されたのでしょうか」と元信者の女性はぽつりとつぶやいた。「末端信者で何がどうなっていたかわからない私も、オウムは人を殺したじゃないかと言われます。私は反論しません。する必要もないし、したところで政治や経済の影響で死んだ人は生き返りません」
30年前にオウムの時代は確かに終わった。だが何も終わらず、改善されることなく時代は続いている。これからも、人は愚かだからしかたないと言い続けるのか。