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仕事場の作業環境を入れ替えるため大掃除を始めたら、ジッパー付きのビニール袋や紙袋に詰められたままの現像済みフィルムが大量に発掘された。10年ほど前にハードディスクがクラッシュしてデジタル写真が数百枚も消え失せてしまったというのにフィルムはしぶとい。
これらの中に、ライカM6というカメラで撮影したのをはっきり覚えているフィルムがあった。
ヴェトナム戦争で従軍カメラマンが使っていたカメラと大して変わらないライカM6は、ファインダーをじっくり見て撮る仕組みになっていないうえに、そもそもファインダーの正確さが低い。そこで被写体までの距離に目測で見当をつけたらレンズの目盛りを合わせ、構えると同時にシャッターを切る。自ずと予想外な何かが偶然映り込んでしまう。こんなライカM6が目的にぴったりに思えて、あるテーマでスナップ写真を撮影していたときのフィルムが出てきたのだ。
テーマはとても個人的なものだった。1990年代に知り合いの女性がオウム真理教の信者になった。1995年、地下鉄サリン事件が発生。そして教団施設への強制捜査が行われ出家信者は散り散りになり、知り合いだった女性も行方がわからなくなった。きっとサティアンと呼ばれる教団の施設に居るだろうと思えるのと、教団が無くなりどこへ行ったかわからないのとでは、この人をめぐる感覚に大きな違いがあった。
人探しをしているつもりはなくても、東京の街を歩いているとこの人が居そうな気がしたり、逆に居るはずがないと感じる。こんなときシャッターを切るのが自分に課したスナップ撮影のテーマだった。ただし他の写真のように日付や場所を書き添えて現像済みのフィルムを整理する気にどうしてもなれず、さりとて捨てられもせずフィルムを仕舞い込んだ。このため発掘されたフィルムが数年間に渡って撮影したスナップの一部であるのはわかっていても、いつ撮影したものかはっきりしない。