それでもフィルムが入っていた袋の様子から、撮影したのはたぶん1998年だ。雨が降っていたように見え、修学旅行らしき中学生がいるので6月ではないだろうか。ふと思い立って調べてみたら、この年の梅雨入りは6月2日だった。

撮影テーマをかなり意識して東京タワーへ向かったのは間違いないので、元信者の境遇を思うと演出を考えている自分が嫌になって、フィルムを袋に詰め込んで忘れようとしたのだろう。そんな気がする。

ここで一言だけ言い添えておかなければならないのは、現在と違い当時はスナップ撮影が写真表現のジャンルとして認知され、撮影する側とされる側に暗黙の了解があったことだ。

写真を発表する場は写真専門誌やギャラリーなどに限られ、高解像な写真がインターネットにアップロードされたり、見知らぬ人に改変されたり転用されるのを恐れる心理が世の中にはなかった。なお被写体がはっきり特定されるものについては、当時でも相手に声をかけている※注1)

さて私がすっきりしない気持ちを引きずって写真を撮影していたとき、他の人たちはどうだったのかといえば、たぶん地下鉄サリン事件だけでなくオウム真理教にまつわる出来事はすべて過去のもので、終わった話だったのではないだろうか。

というのも、事件後も超常現象や心霊現象などオカルトを「科学では解き明かせない」「解明が期待される」と前置きしながら興味本位の姿勢で題材にするテレビ番組が人気だった。あれはあれこれはこれ、といったところだろう。

あれはあれこれはこれは、オウム真理教についてだけではなかった。

東京タワーで撮影したのが1998年で間違いないなら、バブル崩壊後の影響がはっきり家計の変化となって現れだした時代の、日本人の様子が記録されていることになる。正規雇用者が減少して非正規雇用者が増加し、賃金水準が低く抑えられたままになり、可処分所得が減少して家計最終消費支出が頭打ちになり、預金残高も増えなくなった現実を目の前に突きつけられていたときの人々の様子だ。