2022年、米カリフォルニア州ロサンゼルス郡ビバリーヒルズの丘にある豪邸が8500万ドル(約1億2700万円)で売りに出されたというニュースが注目を集めた。
この豪邸が存在する区画では、1969年8月にシャロン・テート殺害事件が起こった。当時妊娠中だった女優のシャロン・テート(当時26)がカルト集団マンソン・ファミリーのメンバーに襲撃され、友人のアビゲイル・フォルジャー、ジェイ・セブリング、ヴォイテク・フリコウスキーの3人とともに殺害された。犯行現場となった家は1994年に取り壊され、跡地に建設されたのがこの8500万ドルの豪邸である。

シャロン・テート殺害事件の現場は取り壊された。一方、世界各地には現在も、大富豪が世界的な建築家に建設させたにもかかわらず、身の毛もよだつ惨劇が起こって以来、誰も住まなくなってしまった豪邸がいくつも残っている。そんな“呪われた家”の数々を紹介しよう。
■無理心中事件の現場となった屋敷=米
ロサンゼルス郡ロスフェリズには、凄惨な無理心中事件で有名なスペイン風の屋敷がある。この家には、医師のハロルド・ペレルソンとその妻、3人の子供たちが住んでいた。

1959年12月6日午前4時30分頃、ペレルソンは眠っている妻のリリアン(当時42)をハンマーで殴り殺した。その後、長女のジュディ(当時18)の部屋に忍び込み、彼女の頭蓋骨をハンマーで粉砕しようとした。ジュディが最初の一撃を受けた直後に叫んだため、弟のデビーと妹のジョエルは目を覚ました。ペレルソンはデビーに「悪夢を見ているだけだ」と言って再び寝るよう促した。しかし、ジュディは何とか逃げ出して隣人に事情を話し、警察に通報してもらった。
現場に駆け付けた警察は、2人の幼い子供たちが無傷で待っているのをロビーで発見した。ペレルソンは血まみれの妻の遺体のそばで死亡していた。死因は薬物の過剰摂取だった。
事件から2年後、家はジュリアンとエミリーの夫婦に売却された。1984年、夫婦の息子でるルディに家を相続されたが、最近になって売りに出された。
