客観的に見て、いかなるディールをしようと、侵略で獲得した占領地をロシアにすべて放棄させることは、トランプには不可能だろう(その気もないであろう)。できるのは、プーチンだけである。

どうして、ウクライナの4州を手にしてもロシアは失うものの方が多いと「遅まきながらわからせ」、「プーチンさんに対するインプット」を「一生懸命叩き込んで」、「プーチンをいかに変えていくか」は考えないのだろうか。聞いても本人は答えないだろうが、答えはもう80年前に出ている。

周知のとおり戦前、共産主義は非合法で、木戸は鎮圧にあたる内務大臣だったこともあった(平沼騏一郎内閣)。それでも開戦後に東条英機と組み、対米講和の機会を潰し続けた自分の面子を守るためなら、ワンチャン「スターリンさんに対するインプット」で難局を打開できれば、それがベストだったのである。本人以外にはワーストでも。

東京裁判で裁かれる木戸幸一。判決は終身禁固だが、1955年に仮釈放となった(写真はWikipedia より)

戦争責任と言ったとき、しばしば議論は開戦の過程や、戦地での残虐行為に集中する。むろんそれらも大事な課題だが、同じことは「終戦責任」についても、当然ながら問われなければならない。

昭和天皇の存命中は、そんなことは自明だった。「もっと早く ”ご聖断” が下っていれば」と、一度も思わなかった日本人などいないだろう。しかし30年余の平成を経て、すっかりそうした記憶は薄れ、ぶり返すように日本人の悪癖が戻ってきたことを、令和のセンモンカの姿は教えてくれる。

繰り返すが、今年は戦後80年。それは私たちにとっては、「敗戦後」80年でもある。ウクライナでの新たな敗戦まで迎えようとするさなか、私たちがいま追及すべき責任の所在はどこにあるのか、誰の目にも明らかである。

(ヘッダーは、読売新聞の歴史記事より)

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年2月日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。