■祖母の死と祖父の願い

やがて社会人になって独立すると、忙しさに取り紛れてもう犬の墓どころか実家のことも滅多に頭に上らなくなり、そして秋山さんが25歳のときに、数年前から寝込みがちになっていた祖母が、肺炎であっけなく亡くなった。享年80。
「それが1995年のことでした。祖母は大正4年生まれで、祖父は4つ年上の明治44年生まれ。明治生まれの人は体が丈夫だと言われますが、祖父も頑健で、いつまでも若々しい人でした。でも祖母が亡くなってから急に老け込んでしまい、1999年に米寿で永眠しました。眠っているうちに心不全を起こしたそうで、大往生です。その祖父が、死ぬ一週間ぐらい前に、犬の墓をあのままにしておいてほしいと私の両親に頼んだということを、通夜のときに聞かされたのですが……」
「お願いがあるんだが、祖母さんの犬たちの墓を大事にしてやってほしい」
秋山さんの両親は突然こんなふうに切り出されたのだそうだ。朝食の際で、前日までの祖父の振舞いには何の兆候もなかった。しかし米寿の老人が言うことなので、「自分が死んだ後も」という枕を抜かしても、そういうことだろうと――秋山さんのお話を傾聴している私にも察せられたが、リアルタイムで聞かされた彼の両親も、当然のこと、咄嗟にこれは遺言だと思ったそうだ。
「急にどうした? どこか具合が悪いのかい?」
「お義父さん、体調が悪かったらすぐに言ってくださいよ」
「……あの墓石をずっとあそこに据えておくわけにはいかないだろうか?」
「そう言われて、父と母はドキッとしたそうです。祖母が亡くなって間もない頃に親族会議を開いて、祖父が死んだら土地を半分売る計画を立てていました。うちの家族はずいぶん前から生前贈与その他で相続税がかからないように努めてきていましたが、叔母たちに遺産を分けてやるには、それがいちばん良い方法だと誰もが思っていました。父と母が2人で住むなら50坪もあれば充分ですからね。この計画は祖父には知らせていませんでした」
秋山さんの両親は顔を見合わせた。犬の墓がある側の土地を売るつもりだったのだ。
「お義父さん、どうしてそんなことを……?」
「厭な予感がするんだよ。起きたら忘れてしまったが、昨夜、悪い夢を見たような気がする」
「なんだ、そんなことか。もしもあれを取り壊すことがあっても、ちゃんと供養する。大丈夫だよ」
老人の気を鎮めるために、この会話の後、3人で仏壇に向かって手を合わせた。それから一週間後に祖父が天寿を全うしたので、通夜のときに集まった親戚一同、一種の虫の知らせだったのだろうということで納得したのだった。