藤枝MYFCの場合は、「ネットオーナーシステム」という全く新しいシステムを導入したことで注目された。静岡サッカー界における藤枝市と静岡市のライバル関係や、ネットオーナーシステムを推進した藤枝ネルソンCFとNPOによる運営だった静岡FCの間で運営方針の相違があったものの、「Jリーグ参入」という大目標のために万難を排し手を組んだことで、清水エスパルス、ジュビロ磐田に続く静岡第3のJクラブとして存在感を放っている。
ただSNS上で「静岡FCには限りなく黒に近い黒な人物がいた」「寝耳に水の話だった」「合併時の調整がスムーズではなかった」との書き込みがあったように、藤枝ネルソンCF側に不信感があったことが垣間見え、決して合併交渉が一筋縄では行かなかったことを伺わせる。

水戸、長崎、北九州、その他の合併例
水戸ホーリーホックの場合は、JFLに所属していたプリマハムFC土浦の解散に伴い、FC水戸が吸収したが、プリマハムFC土浦のJFLの参加資格を引き継ぐために、形式的にはFC水戸が吸収された形を取った。
V・ファーレン長崎は、有明町(現島原市)の有明SCと、長崎県立国見高等学校サッカー部OBを中心に結成された国見FCが統合したクラブが前身となっている。ともにアマチュアの“同好会”であったことから、合併はスムーズだったと思われる。
ギラヴァンツ北九州のケースでは、北九州サッカー協会が間に入り、新日本製鐵八幡サッカー部と三菱化学黒崎FCの対等合併を実現させ、前身のニューウェーブ北九州が創立された。
ヴァンラーレ八戸、福島ユナイテッド、テゲバジャーロ宮崎は、一方のクラブがもう一方のクラブを吸収するような形を取りながらも、吸収された側を“セカンドチーム”として存続させるなど、知恵を絞りながら禍根を残さない工夫がなされている。