一方の「FC KAGOSHIMA」は2010年創立。元々は鹿屋体育大学サッカー部の学生が中心となって創設した「鹿屋体育大学クラブ」が母体で、後に社会人選手にも門戸を開き「FC KAGOSHIMA」へと発展。2011年に九州リーグに昇格した。
「ヴォルカ鹿児島」と「FC KAGOSHIMA」は同じ県内で活動しながらも、独自の運営方針やサポーター文化を持ち、九州リーグにおいてライバル関係だった。しかし、Jリーグ参入には財政基盤の強化や地域の統一的な支援が必要という考えに至り、2012年に統合の話が持ち上がったものの、運営や債務に関する意見の相違から一度は破談に終わった。
その翌年の2013年に改めて協議が再開され、Jリーグ側からも「申請の一本化」が望ましいとの指導を受けたことが後押しとなり、両クラブは統合を決断。2013年12月に新チーム名を「鹿児島ユナイテッドFC」と発表し、2014年から活動を開始。正式には「ヴォルカ鹿児島と合併したFC KAGOSHIMAが名称を変更した」という形が取られ、同年12月4日のJFL(日本フットボールリーグ)理事会で入会が承認されたという経緯がある。
しかしながら、長い歴史を持ち、地元の古参サポーターに支えられていた「ヴォルカ鹿児島」と、若い選手や新たなファン層を獲得し急成長した新興勢力の「FC KAGOSHIMA」では出自の違いがあまりにも大きく、統合後も運営方針など巡る意見の相違が絶えなかったと言われている。
そんな中、FC KAGOSHIMA側だった徳重代表が代表に就任したことで、ヴォルカ鹿児島側が影響力を失ったと感じ、反撃の機会を狙っていたとする見方もされている。実際、被害を訴えた男性はヴォルカ鹿児島側の人物で、この事件はクラブ内の主導権争いの延長線上にある可能性すらあるのだ。
それはサポーターも同じで、統合後も「ヴォルカ派」と「FC KAGOSHIMA派」のサポーター間の感情的な対立が残り、X上の投稿でも「両者の関係は仲が良いとは言えなかった」との声があり、クラブ内部の亀裂がサポーター間の分断にまで至っているといえよう。