実は当時、天動説は神の教え、地動説は異端で、地動説を信じる者は異端として処刑されるという厳しい現実はありませんでした。ガリレオの裁判で、現代には誤解が広まっているようです。
『天体の回転について』を著したニコラウス・コペルニクスはポーランド出身で、カトリックの司祭でもありました。これは当時主流だった天動説を覆す地動説を唱えた書物でした。

後見人の叔父により司祭になることを望まれていたコペルニクスは大学へ進学。ここで天動説に懐疑的だった教授によって天文学に触れたのです。
その後コペルニクスは副助祭として勤勉に働く一方、天文観測と研究を続けていました。地動説については周囲に勧められながらもなかなか出版に踏み切らなかったのですが、その30年ほど前には同人誌『コメンタリオルス』で地動説を公にしているので、特に隠していたわけではありませんでした。
ガリレオはトスカーナ大公付きの数学者として名誉ある地位にいました。ラテン語ではなくイタリア語で執筆した『天文対話』『新科学対話』などでガリレオが「現代の知」と呼んだ自然科学へ繋がる手法を生み出したのです。
しかし、名誉ある地位にいたがためか権力闘争に巻き込まれ、敵を作りました。そのため異端審問にかけられることになりましたが、地動説は口実でしかなかったという説と、敬虔なカトリック教徒だったガリレオですが、科学は宗教と切り分けるべき、という主張が異端とされたという説があります。

「それでも地球は回っている」という有名な言葉は、実際には2度目の異端審問裁判で有罪となった時に読み上げさせられた異端誓絶文の最後に「そう言った」と弟子たちが付け加えた「後付け」とされています。