「教育勅語を下した給ひし所以」:日本は御一新後長足の進歩をしたが、欧米の文物を急に採り入れたため、固有の文明や精神が顧みられなくなった。教育面でも忠孝、節義、誠実という古来の道徳の美風が忘れ去られた。明治天皇はこれを深くご心配され、国民教育の主義、標準として「教育勅語」を下された。

「朕」:君主が自らを呼ぶ語で、一国に一人限りの尊称である。が、中国では「天子が常に替り」朕の意義が成立しない。真に朕と称し得るのは万世一系の天皇が君臨する日本だけである。

「我が」:「我が」は複数であり、単数の「朕」とは異なる。「朕」と「我が」の二字によって、日本国の国体の特色、即ち日本が一大家族制であることを示している。

「皇祖皇宗、國を肇むること宏遠に」:皇祖皇宗とは天皇と国民の先祖を指す。天孫降臨以降君臣の分が定まり、国体の基礎が確立した。土豪を征して橿原に都を定め、帝位に即いたことは「神武天皇の鴻業(大事業)」である。歴代天皇は皇祖皇宗の御遺訓を守り、皇威の尊厳と皇国の拡張を計った。

「徳を樹つること深厚なり」:「樹つる」とは植え付けること。歴代天皇は樹木を植え付けるように人民に徳を植え付けた。外国の主権者は強権の威力を以て人民に臨むが、天皇は仁愛を民の心中に植え込むから、民が悦服するのである。

第二回 我が臣民、克く忠に克く孝に、

「忠孝の本源」:歴代天皇は民に至仁の徳を垂れ、民は孝子が親に仕えるように皇室に仕える。祖先の名を辱めないよう親に仕える孝と、祖先の心を心として君に仕える忠とは同じものである。

「忠とは何ぞや」:純粋至誠の心で天皇に仕えようとする高尚な道徳的感情が忠である。皇位を狙う道教を掃蕩した和気清麻呂、後醍醐天皇に尽くして討ち死にした楠木正成、そして明治天皇に殉じた乃木大将は忠の事例である。

「孝とは何ぞや」:孝とは至誠の心を以て子が親に仕える道徳的感情である。国体上、忠孝は二つにして一つである。貧しい樵が酒の好きな父に甘美な泉の水を供した「養老の孝子」の話に由って、第44代元正天皇は美濃行幸の際、泉を「養老の滝」とし、元号を養老と改めた。