教育勅語は、元田に代表される封建的儒教主義と、井上に代表される近代的立憲主義との抗争と妥協の上に成立したが、外形的には元田の勝利に見えながら、実質的には井上の主張が実現されていることを看過ごしてはならない。

筆者も家永とほぼ同意見だが、儒家に生まれ漢学を修めた杉浦の進講が、果たして井上の意図した通りであったかは、1895年に41歳で物故してしまった井上の口からは聞く術がなかった。が、終戦までの55年間、陛下と国民とに「拳々服膺」され、西欧列強に伍す国家となったのであるから、井上の思いは遂げられたとするべきではあるまいか。

では以下に「教育勅語」の全文を現代人に読み易いよう句読点を付し、平仮名で書き下して掲げる。読者諸兄姉氏にもぜひ「拳々服膺」されてはどうだろうか。(〇数字は進講の回を示す)。

①朕惟うに、我が皇祖皇宗、國を肇むること宏遠に、徳を樹つること深厚なり。②我が臣民、克く忠に克く孝に、③億兆心を一にして世々厥の美を済せるは、これ我が国体の精華にして、教育の淵源、亦実に此に存す。④爾臣民、父母に孝に、⑤兄弟に友に、夫婦相和し、⑥朋友相信じ、⑦恭倹己を持し、⑧博愛衆に及ぼし、⑨学を修め、業を習い、以て智能を啓発し、特器を成就し、⑩進んで公益を広め、世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に遵い、⑪一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。是の如きは独り朕が忠良の臣民なるのみならず、又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん。斯の道は実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の倶に遵守すべき所、之を古今を通じて謬らず、之を中外に施して悖らず。朕、爾臣民と倶に拳々服膺して咸其徳を一にせんことを庶幾う。明治二十三年十月三十日 御名 御璽

杉浦は「教育勅語」を11の文節に分けて、それぞれに幾つか項を立て、また事例を引きつつ進講した。その要旨を以下に纏めてみる。

第一回 朕惟うに、我が皇祖皇宗、國を肇むること宏遠に、徳を樹つること深厚なり。