トランプとプーチンの「ディール」で終戦を迎えるということについて、「それでいいのか」という問題はもちろんあるけど、正直言って両国民としては「どこかで終わってくれたらほっとする」ぐらいの情勢ではあるんだろうなと思います。
これについての色々な課題があると思いますが、それが人類社会の「今後」にどういう意味を持つのか?そこで日本が果たしていくべき役割は何なのか?という話を今回はします。
1. ゼレンスキー体制が『戦った意味』はあった
まずハッキリしておかないといけないことは、戦争になったらすぐ無条件降伏すれば血は流れずに済んだのに・・・って話では全然なくて、もしロシアが攻め込んだ時にさっさと諦めてキーウも全部占領されて・・・ってなってた方が良かった・・・ってことは絶対ないんですよね。
そしたらもうウクライナっていう国は消滅してて、「ディール」どころじゃなくなってたし、もう「大国は好き放題に軍事力で現状変更できちゃう時代」という最悪の「新しい秩序」が形成されてしまっていたことは疑いない。
そういう意味では、亡くなった兵士や民間人の人々のためにも、あまりにも「無駄な流血だった」というだけの総括をするのは良くないことだと思います。
今後どういう形で停戦になるかはわかりませんが、とにかく「互角に押しあって」いたぐらいではあったからこそ、「ディール」をして「とりあえずの決着」を実現することもできる・・・という意味で、「戦った意味」自体を否定し始めるのは良くない。
そのことは前提として!なんですが、
とはいえ「ロシア完全撤退」「力による現状変更は絶対に許されない」というだけのハッキリした決着にはできずに終わりそうな現状自体を、どう考えていけばいいのか?
…という話を掘り下げたいわけですね。
2. 「単一の正しさ」ではなく「2つの正義同士の間の双方向コミュニケーションの時代」
上記したように、「戦争が始まってしまった」以上、さっさと完全占領されてしまった状態にならずに戦った意味はあった・・・と言っていいとは思いますが、