30年前に「戦後50年」を迎えた際は、加藤典洋「敗戦後論」がその問いを提起して、ものすごい反響を呼びました。文芸誌(『群像』1995年1月号)に載った1本の論考が、「これに言及しないのはあり得ない!」くらいの勢いで、分野も専門も問わずあらゆる識者にコメントされたというのは、いまや想像すらしがたいことです。
具体的には、なにが書いてあったのか。昔、同じ著者の「別の本」の解説でまとめたことがあるので、引いてみましょう。
ほんらいは、そうむずかしいことではなかったと思う。大日本帝国が行った戦争を謝罪・反省するというとき、私たち日本人はたとえばヒトラーやスターリンやマオの殺戮を「反省する」のとは、違うことが求められている。
たんに「人類の悲劇」として後世の糧とするという意味での反省ではなく、そうした悲劇を起こしたものの末裔として反省することが必要なのだが、そのためにはあたかも戦前の日本人と自分たちが切れているかのような態度で、まるで第三者がするのと同様な視点での批判をしては、いけない。
悲劇を起こした人々もまた「われわれ」の一部なのだとして、その苦悶や悔恨を感じるプロセス(日本の三百万の死者を悼む)を経由してはじめて、内実のある批判や反省(アジアの二千万の死者の哀悼、死者への謝罪)は可能となるだろう。たんに、それだけのことである。
加藤典洋『太宰と井伏』解説、218頁 ( )内は加藤「敗戦後論」からの引用
「それだけ」の論考が、なぜ1995年には大バズりというか、大炎上に近いほどの劇症アレルギーを、読む人に引き起こしたのか。
ひとつは、歴史の必要性を「死者の追悼」と絡めて語ったために、加害者の追悼を被害者への謝罪より優先するのか! という誤読を招いたこと。