3/10の毎日新聞・夕刊に、川名壮志記者による長めのインタビューを載せていただいています。先ほど、有料ですがWeb版も出ました。

今年は戦後80年にして「昭和100年」と呼ばれながら、あまり盛り上がらず、なにより「あいだに挟まる平成の30年間はどこ行っちゃったの?」という問いについて、まっすぐ考えています。

ずばり、結びの部分をチラリとお見せすると――

民主主義の国で暮らす以上、今の社会が望ましい姿をしていないなら、それは自分たちにも責任がある。どこかに誰か、悪い人間がいるせいではありません。

過去から続く社会の主人公として、戦争をはじめとしたかつての失敗も含めて、私たち自身が引き受けてゆくのが民主主義です。そうした歴史の感覚が持てないなら、遠からず日本の民主主義は失われます

段落を改変し、強調を付与

そうなんです。もう10年以上も前からお伝えしているんですが、「歴史」なるものが社会に存在する状態は、自明ではない。

まず、①世界の各地で先住民が営む無文字社会では、一般に(私たちが考えるような)歴史は存在せず、「神話」しかないことが普通です。そうした社会を昔は「遅れている」と蔑んだりしたけど、彼らは別に困ってないし、改めて考えるとなにも問題はないのかもしれない。