次に、東アジアは地中海の沿岸と並んで早くから手にしたように、②支配体制=「王朝」が自らの来歴を語るものとしての歴史がある。ざっくり言えば、権力者が「統治の正統性」を説明するための由緒づけとして編纂する、イデオロギーとしての過去語りですよね。

有名な例ですが、中国ではある王朝が亡ぶと、次の王朝が「なぜ彼らは滅亡し、我々に道を譲ったのか」、つまり今の俺たちこそが正統な支配者だぞと示すために、前の時代の歴史を編む。読む人の数ではまちがいなく一番の『三国志』(正史)にしても、成立したのは三国統一後の西晋です。曹操や劉備が自分で書いたわけじゃない。

で、①や②の段階を乗り越えてやっと、③いま暮らす国は「自分たちの国」なので、自分自身で歴史を書きますという状態が来る。

なので、王様や政治家といった偉い人以外についても、その歴史は筆を及ぼす――むしろそちらを主人公に、イデオロギーとしては都合の悪いこと、カッコ悪い失敗や、犯した過ちもしっかり記録することになっている。タテマエとしては(笑)。

もちろん(笑)が付く理由は、ルールを破る奴、ないし意識が低すぎて単に無視する輩がいるからです。「うおおおお歴史学とはジッショー! ボロい文書から文字起こしした俺マンセー! だけど自分たちの黒歴史は忘れるし、みんなで示しあわせて言及しない!」とかね(苦笑)。

さて、ダメな人びとは措いておいて、この③のレベルの「歴史」はいま、日本で生きているのだろうか?……というか、そもそもあったのか? が、戦後80年の今年には、問われるのが本来の姿です。