ご存じのとおり、そのアメリカでも、また平成期に二大政党制の導入を試みた日本でも、いまそんな「発想」は微塵もない。対立相手を敵視して悪魔化し、味方でも彼らと対話したら裏切り者だと切り捨て、ひたすら罵り殴りあい続ける。ほとんど全共闘の内ゲバである。
そうした時代を、変えるための歴史があり、批評がある。いや、あるっていうかむしろ「要る」。
ぼくはもともと歴史学者だったので、これまで文学は専門にしたことがない。だから小説を読んでも、つい「歴史」に話を落としてしまって、なんていうか純粋に芸術を「批評してる」って感じじゃない。だけどジッショーとヒッヒョーの違いなんて、ぶっちゃけ大したことじゃないと思う。
大事なのは、ホンモノであること――過去とも、他者や対立者とも、必ずつながるという信念をもって、相手に接することができることだ。そうした「ホンモノが本物を論じる」作品として、コロナもウクライナも潜り抜けた7年越しで、『江藤淳と加藤典洋』は書かれている。
特にこの記事のテーマだった、戦後の日本で最高の知性を織りなす「丸山・江藤・庄司・加藤」の平行四辺形について論じた章を、発売中の『文學界』4月号が、載せてくれた。
いわば、アルバム(単行本)に先行するシングルカットで、タイトルは「80年目でつかまえて 庄司薫からの「敗戦後論」」。