たとえば、全身図の一番上にはAと書かれていて、Aの説明文を見ると、最初に「Caput, het Hooft, is de opperste holligheid.」と記されている。とすると、「Caput」「het Hooft」とは「頭」の意味であり、その後の文は頭の説明であろうと推測できる。おそらく、そんな感じで読み進めていったのだろう。ちなみにCaputはラテン語で「頭」、het Hooftはthe hed、オランダ語で「頭」である。玄白は『蘭学事始』で翻訳を始めた頃は「ヘット(het)」も知らなかったと振り返っている。

彼らは毎月6、7回、良沢の家に集まって議論しながら読み進めた。まさに会読である。最初のうちは「眉とは目の上に生えた毛である」という文章を解読するのに1日を要する有様で、最初のうちは1日で平均1行も訳せなかった。

だが、皆で悩みながらアイディアを出し合う日々は苦しくも楽しい日々であった。苦心の末に単語を訳せた時の喜びは、何物にも代えがたかった。会合を1年余りも続けているうちに、訳語も次第に増加していき、簡単な箇所は1日に10行以上も訳せるようになったという。

この翻訳作業は1人では決して成しえなかっだろう。対等な関係で、各々が意見を出し合い、討論しながらパズルを解くように翻訳していったからこそ、途中で挫折することなく続けられたのである。

玄白は『蘭学事始』で、翻訳を始めて2、3年が経過すると、会合の日を心待ちにするようになり、前日から早く夜が明けないかと胸が弾み、子どもがお祭りを見に行くような気持ちになったと語っている。このような勉強会、読書会が、日本の西洋学問の黎明期に絶大な効果を発揮したことは疑いようがない。

一方、移り気な源内は様々な事業に手を出しては失敗し、腰を据えてオランダ語を学習することはなかった。皮肉なことに、前回紹介した秩父地方の中津川村における源内の鉄山事業が挫折した年に、『解体新書』は刊行されているのである。