■角鹿の塩、ガチですごかった

全人類に衝撃を与えた件の説明文について、津田伊右衛門の担当者は「日本海に面した福井県敦賀では、古墳時代より『土器製塩』による塩作りが行われてきました」と、説明する。

そして『日本書紀』の「武烈天皇即位前記」によると、角鹿の塩は「呪われていない特別な塩として天皇の御食として扱われた」と記されてい他ことが判明したのだ。

担当者は「飛鳥・奈良時代には塩津山を超える深坂古道より塩津の港へ運ばれ、琵琶湖を渡り、津令政府への貢納品としても納められました」と、その歴史について補足している。

なお、福井県立若狭歴史博物館によると…

「若狭に隣接する越前敦賀。そこには武烈大王(天皇)と、ある豪族の争いの果てに、天皇御用達になったとされる『角鹿塩』がありました。

同じ女性を巡って、即位前の武烈天皇と平群鮪(へぐりのしび)が争った結果、鮪にその女性を奪われた武烈が怒り、鮪ならびに父の真鳥を滅ぼしました。

真鳥は死の直前に多くの塩を呪ったものの、『角鹿塩』だけは呪い忘れたことから、以後、天皇は角鹿の塩だけを食するようになったとされています(『日本書紀』武烈即位前記)」(【出典】福井県立若狭歴史博物館 常設展示図録)

とのことであった。

つまり実際は、呪いを「かけられなかった」と言うより、うっかりミスによる「かけられ忘れ」というイメージが近いのだろうか。