次はやや視点を変えて、この「深いところで理論がつながっている」ということを科学哲学の分野ではどのように考えるかを紹介したいと思います。

科学哲学的にどう解釈したらいいのか?

科学哲学的にどう解釈したらいいのか?
科学哲学的にどう解釈したらいいのか? / Credit:Canva

一見するとまったく異なる世界を描いているように見える理論が、実は深いところで“同じ構造”を共有している――この「表面の違い vs. 内部の統一」という構図は、科学哲学においても大きな関心事です。

たとえば重力がはたらく歪んだ空間と、重力のない平坦な空間が同じ数式を共有するという AdS/CFT 対応のように、矛盾しそうな二つの視点が「実は同じ情報を別の角度から見ているだけなのかもしれない」という考え方を示唆するからです。

このとき、構造実在論(Structural Realism) という考え方が登場します。

これは「理論が変わっても、“背後にある関係や構造”こそが物理的世界の本質を表している」という立場です。

たとえ理論の表面(たとえば歪んだ空間 vs. 平坦な空間)が違っても、数式や場の構造が共通ならば、「私たちは実は同じ“世界”の姿を別の視点から描いているのでは?」というわけです。

たとえば、山あり谷ありの地形図と、都市の道路網を示した地図はまるで違う絵に見えても、よく見れば同じ国を示している――そんなイメージに近いかもしれません。

これに対し、道具主義(インストゥルメンタリズム) という立場も存在します。

この立場は「どれほど似ていようと、それが実際に“同じ現実”を描いているとは限らない。単に複数の理論を計算上対応づけたにすぎない可能性もある」と考えます。

「数式が当てはまっているのは事実だけれど、だからといって重力がない世界と重力のある世界が本当に“同じ”だとは言い切れない」という見方です。

これは、目の前の現象を正しく予測できれば十分であり、「理論を道具として使えればいい」という考え方とも言えます。