さて、こうした結果に終わる会談の前日、トランプはメディアの取材に「独裁者なんて言ったかな?」ととぼけて見せた。ゼレンスキーを自国に招いて、これから会うのだから、表向きはそうはぐらかすのが当然である。

いかなる対中強硬派が今後、日本で首相になったにせよ、習近平との会談前に「独裁者と話してやるぜ!」などと言うはずはない。あなたは前にWiLLやHanadaで……と突っ込まれたところで、「そうだっけ?」と流すだろうし、外交に臨む政治家はそうであらねばならない。

ところが、外交も国際政治もわかっていないウクライナ応援団は、ゼレンスキー(と自分自身)が「公開処刑」される運命の会談の目前、以下のようにはしゃいでいた。

2月28日(日本時間)

コロナ禍以来、社会とメディアの安易な「専門家」への依存に警鐘を鳴らしてきた私だが、ここまでセンモンカが即座にわかる大外しをするのは「42万人が死ぬ」以来である。冷笑どころか、失笑であり、爆笑ものだろう。

この人は自分も公開処刑されたことを知ってか知らずか、その後はひとつ覚えの「日本にとっても他人ごとではない」論法でファンネルを集めているが、もちろん他人ごとではない。

彼女が日本で唱えるところの、自国の言い分を「叩き込み」「トランプを変えていく」理論に忠実に振るまった結果、ゼレンスキーは晒し者にされ、おそらくウクライナへの支援は止まる。口だけコンサルのようなセンモンカが、まかりまちがって日本の政治や外交にまで影響力を持ったら、私たちはどんな悲惨な末路を迎えるだろうか。