このこともあって高松藩の領内ではサトウキビの栽培が進み、栽培面積は1836年には1380ヘクタール、幕末には3807ヘクタールにまで拡大していきます。
この白砂糖は「讃岐三盆白」として名を馳せ、やがて日本中にその評判を轟かせていきました。
また薩摩藩も負けておらず、砂糖専売制を強化することによって、黒砂糖生産を拡大していきました。1830年代には薩摩藩の砂糖出荷量は7200トンに達し、全国の51%を占めるに至ったのです。
こうして、18世紀から19世紀にかけて日本国内での砂糖生産は大きく発展し、幕末には国内の砂糖供給量が18世紀初頭の約5万トンから12万トンと2倍以上に増加しました。
そして、砂糖消費量は1人当たり1キロを超えるまでに達し、甘味への欲望は、ついに日本全土を包み込むものとなったのです。
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参考文献
日本における甘味社会の成立 : 前近代の砂糖供給
https://digital-archives.sophia.ac.jp/repository/view/repository/00000014877
ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
編集者
ナゾロジー 編集部