現代の私たちの多くが甘いものが好きであるように、江戸時代の人々も甘いものが好きでした。

しかし江戸時代初期は砂糖の多くを輸入に頼っており、それゆえ砂糖は高価なものでした。

果たして砂糖はいつごろから日本で食べられるようになったのでしょう?

また幕府や諸藩は砂糖の国産化に向けてどのようなことをしていたのでしょうか?

この記事では砂糖がいつ頃から日本で食べられるようになったのかについて紹介しつつ、砂糖の国産化に向けて人々の軌跡について取り上げていきます。

なおこの研究は、上智経済論集53巻1・2号45p-62pに詳細が書かれています。

目次

  • 当初は薬としてしか使われてこなかった砂糖
  • 砂糖国産化に向けて努力するも、なかなか進まず
  • 苦労の果てに白砂糖を作った高松藩、黒砂糖の増産を行った薩摩藩

当初は薬としてしか使われてこなかった砂糖

金平糖、ヨーロッパからやってきた宣教師や商人によって日本に伝わった
金平糖、ヨーロッパからやってきた宣教師や商人によって日本に伝わった / credit:wikipedia

砂糖が日本にやってきたのは奈良時代です。

754年、名高い僧・鑑真がはるばる中国からやってきました。

その手には、神秘的な黒糖が握られていたといいます。

当時、砂糖は薬としてしか使われず、口に入ることは滅多にない高貴なものだったのです。

そのため古代・中世の日本人にとって、甘味といえば飴や甘酒、柿、樹液でした。

しかし、時は流れ、16世紀に大航海時代が到来し、日本にもヨーロッパから商人や宣教師がやってきます。

彼らはキリスト教だけではなく南蛮菓子も日本に伝え、カステラや金平糖といったお菓子が広まりました

それにより砂糖はついにその甘味料としての真価を発揮することとなるのです。

琉球ではサトウキビの栽培が始まり、薩摩藩がこの黒い宝石を専売とし、財政の柱に据えるようになります。

そして、ついに1713年、薩摩の黒糖は大坂市場に堂々と姿を現し、日本中の市場を席巻していくのでした。砂糖の歴史はこうして本格的に動き出したのです。

砂糖国産化に向けて努力するも、なかなか進まず

砂糖の輸入により、江戸幕府の財政は悪化していった
砂糖の輸入により、江戸幕府の財政は悪化していった / credit:いらすとや