さらに、年代別に肌の色の推定結果をたどると、およそ3000年前(銅器時代末~鉄器時代)にかけて白い肌や中間的な肌色の割合が徐々に増えていった可能性が示されました。
その背景には、狩猟採集民から農耕民へと移行する過程でのビタミンD摂取法の変化や、新石器時代以降に起こった大規模な人口移動や混血、さらには戦争や性淘汰などが複合的に関わっていると考えられます。
これらの要因が複合的に作用し、肌の明度を高める遺伝子変異がゆっくりと浸透していったのではないかというわけです。
なお、古代DNAの解析には不確実性が伴い、個々のサンプルが示す特徴には誤差が含まれる可能性があります。
しかし、この研究のようにさまざまな時代と地域から348人もの古代人データを集めることで、個々の誤差を統計的に平均化し、集団レベルでの大きな傾向を見出すことが可能となります。
「dark to black」が主流だったという結論や「3000年ほど前から白くなり始めた」という指摘は、ヨーロッパ人の肌色に関する従来説を見直す上で重要な材料となるでしょう。
肌の色が物語る人類の歩み
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今回の研究が示唆するのは、ヨーロッパにおける「肌の白化」が従来イメージされてきたような急激な進化ではなく、はるかに長い時間をかけて少しずつ進行した可能性があるという点です。
アフリカを出た初期の現生人類が黒い肌を持っていたのは自然なことですが、高緯度地域に移住すればすぐに白くなったはず――という定説は、この研究結果で大きく揺らぎました。
長い間、黒や褐色に近い肌色が維持されていた背景としては、狩猟採集民が野生動物の肉や魚介類などからビタミンDを十分に摂取できたことが考えられます。
紫外線を十分に取り込まなくても、食事からある程度のビタミンDを確保できるなら、肌を白く保つ淘汰圧はさほど強く働かなかったかもしれません。