東京で飲食系の友人と談義した際、「いまいくら払えば本当に旨いものが食べられるか」と聞いたところ、一人1万円が最低だろうと。焼き鳥ですらこだわればそれぐらいになると。別の友人と上野の老舗の居酒屋で鍋をつっつきながらさらっと飲んだだけで一人1万円は軽く超えました。今回、東京で感じているのは物価が西欧の水準にすり寄り始めている点です。そして古い価格に固執すると取り残されるのです。もう一つ気がついたのは建設現場が減っている点です。建設物価がかなり高騰しており、施主が工事に踏み込めないのでしょう。時間差を伴い、価格耐性があった家賃などにも波及するでしょう。街のべた張り不動産屋で賃料を見ると5年前とは比較にならない水準に来ています。ここから先は業績を伸ばせるところは伸び、淘汰されるところは淘汰されるように感じます。
トランプ氏に我慢する世界
トランプ氏が矢継ぎ早に様々な施策を発表するのは予想されたこととはいえ、やや食傷気味になってきました。矢面に立たされる様々な国の政府や官僚、企業の経営者に至るまでそろそろ不満の声が爆発するのではないかと思います。昨年、大統領選の後、私はこのブログでトランプ2.0は思うように運ばないだろう、理由は1.0の時のようなサプライズ感がなく、各国それなりに準備をしているからだと述べました。そして何度か指摘するようにトランプ氏の賞味期限の先は見えているのであります。一部からはトランプ流が引き継がれるのでは、という意見もありますが、個人的にはないと断言します。
アメリカのように2大政党の場合、人々の考えは時の政権に振り回され、初期は勢いや斬新さもあり、同意するものの途中から自分の意に合わないと考える人が増えます。これが政権交代が繰り返される理由であり、人々は確固たる不動の意志を持っているのではなく、最終的に自分にどれだけのメリットがあるかを知らずのうちに計っているのでしょう。トランプ流が4年後に引き継がれるとすればアメリカ国民が明白なメリットを感じる必要があります。その多くはコンビネーションであり、最終的には胸を張れることと過ごしやすさであると思います。ところが私はトランプ氏は金、カネ、かねにしか見えないのです。これがアメリカだといえばそうかもしれませんが、私が最近アメリカに近寄らないのはちっとも魅力的に感じないからなのです。