当時は戦時中の安全性確保のため、米国の駆逐艦2隻と英国の警備艇数隻による船団の中に入っての航行である。
同月4日午前4時過ぎ、セントジョージ海峡を通過したところで、平野丸はUボートの攻撃を受け、数分で沈没。
島崎氏はどのように平野丸が沈没したのか、どんな人が乗客だったのか、遺族はどうしているのかなど、徹底的に資料を集めて過去と現在を重ねていく。
かつての乗客の一人が作家与謝野晶子だった。彼女の船上での生活の描写やそのほかの資料によって読者は乗客の生活をありありと想像できる。
第1次大戦と平野丸島崎氏は平野丸撃沈をめぐる状況をつまびらかにしていく。
ナチスドイツはどんな戦略の下でUボートを使っていたのか。
著書によると、「英国海軍は(第1次大戦の)開戦に伴い、北海でドイツの通商路を遮断し、ドイツ向け操船を厳しく臨検、経済封鎖を実施した」。これに対しドイツはUボートを使って海上交通を妨害する作戦に出る。「敵国の非武装の商戦を見つけ次第、攻撃を加え、拿捕し、あるいは撃沈する作戦」である。
ドイツは当初、敵国の船舶に警告をしたうえで攻撃する命令を出していたが、英国側が商船に偽装した重武装船を出すようになったため、1915年2月からは「英国やアイルランド周辺を戦闘水域と宣言」し、Uボートで無警告で攻撃する「無制限潜水艦作戦」を開始したという。こうした作戦の「餌食になった1隻が、平野丸だった」。
平野丸沈没からほぼ1か月後の1918年11月、第1次大戦が終結する。
第1次大戦と日本そもそも、なぜどのような経緯で日本は第1次大戦に参戦していったのか。当時の日本の政治状況や国際情勢がつづられる箇所も大変興味深い。第1次大戦は、決して地理的に遠い欧州で発生した、日本にはほとんど関係がない戦争ではなかったのである。
最後の章では、英国の戦没者追悼式で参加者が繰り返す「私たちは彼らを忘れない(We will remember them)」が由来する詩「倒れた者のために(For the Fallen)」とその背景が紹介されている。