平野丸は英リバプール港から日本に向けて戻る途中、アイルランド南方沖で攻撃に遭い、乗客と乗組員合計240人のうち、船長を含む210人が死亡。第1次大戦中に戦没した日本商船の中で最大の死者数である。

乗船者たちの遺体は近くの英ウェールズ南部の海岸に流れ着いた。住民たちは遺体を引き上げ、近くの教会に墓標が立てられた。

新たな慰霊碑の建立へ

年月が経つうちに墓標は朽ち果ててしまう。

そこで地元の郷土史家が新たな墓標建立のために募金活動を始め、沈没から100年となる2018年10月、新たな慰霊碑の除幕式が行われた。

新慰霊碑建立から除幕式、その後の話を取材し、島崎氏が1冊の本にまとめたのが「平野丸、Uボートに沈没さる第一次大戦・日英秘話」である。

島崎氏は除幕式の半年前に現地を訪れ、ウェールズ南部アングルで建立計画の中心となった郷土歴史家デービッド・ジェームズさんに会い、もともとの墓標があった教会を訪れる。

なぜウェールズの人は墓標を立てたのか?

日英は第1次大戦では同じ側にいたが、第2次大戦では敵国同士となった。そうした歴史を経て、なぜジェームズさんや彼の支援者は新たな墓標建立に動いたのだろうか?

こうした問いを抱きながら、島崎氏は現地で取材を続けてゆく。

日英に広がる輪

共同通信が報道した除幕式についての記事が日英の新たなつながりに結びつく。平野丸の遺族の方が島崎氏にメールを送ってきたのだ。

2018年10月4日、乗組員の孫にあたる女性、ロンドンの日本大使館員、ジェームズさん、地元住民らが出席して、新慰霊碑の除幕式が行われた。

島崎氏は2019年にロンドンでの勤務を終え、東京の共同通信本社に戻るが、その後も取材を止めなかった。1990年代に出た日本の新聞の記事によって、1918年当時に遺体の埋葬に立ち会った人物がいて、数十年にわたって献花をしていたことも分かってきた。

平野丸と沈没

沈没までの平野丸の動向を追ってみると、横浜からリバプールに到着したのが1918年9月であった。翌10月、日本に向けて復路の旅に出る。