マリ・クレールなどでファッションフォトグラファーをしていた同氏は、メディアのインタビューで、ある時、雑誌に掲載されるのを助けて欲しいと頼んできたメラニア氏に「絶望」を感じたと明かしつつ、「彼女はいつも堅苦しかった。だから彼女は成功できなかったんだ」と語った。また、トランプ氏に出会った1998年にメラニア氏のモデルとしてのキャリアは「行き詰まっていた」とも述べ、GQなど有名誌に起用され売れるようになったのは、それ以降だと指摘した。

女優のクイン・カミングス氏は、メラニア氏の「ZEDカード」を一枚も目にしたことがないと述べ、モデルのキャリアそのものに疑問を呈した。ZEDカードは、インターネットが普及する以前にモデルらがポートフォリオを示すために使っていた一種のビジネスカードだという。さらにカミングス氏は、メラニア氏が「次に」仕事をしたのは、「ニューヨークのおじさん」と交際して有名になってからだと主張。「彼女には説明できない10年がある」と述べている。

トランプ氏との交際がファッション界で無視できない存在にさせたのは確かだろう。

婚約からまもなくアナ・ウィンターから声がかかり、2005年にとうとうVOGUEの表紙をウェディングドレス姿で飾った。さらにバロン君を身ごもると、その翌年、妊娠7ヶ月のマタニティ姿で再びVOGUEに登場する。ジェット機の搭乗口でゴールドの水着姿という奇抜な撮影について、「私はアニー・リーボヴィッツとの撮影のためにパームビーチに飛んだ。生命の素晴らしさと、新たな生命を創造する奇跡を祝う素晴らしい機会だった」、と回顧録『メラニア』の中で喜びを語っている。

かくしてスロベニアで建築家を目指した少女は、努力と才能、美貌、偶然の出会いによって世界的な注目を浴びる存在へと上り詰めた。スポットライトの多さがその人を定義づける世界にあって、物静かな姿勢を貫くメラニア氏の成功は多くの示唆を与えてくれる。