ヨーロッパでメラニア氏が狙いを定めたのはランウェイの上ではなく、「コマーシャルモデル、カタログ、広告、テレビコマーシャル」だった。その理由について、当時のランウェイではスリムなスタイルが好まれていたが、自分は「曲線的な体型」だったからだとしている。

ニューヨークに進出

人生を決定づける出来事は1995年に訪れた。ニューヨークのモデル・エージェント「ID Models」の共同創設者パオロ・ザンポリ氏の目に留まり、ビッグアップル行きを手に入れた。その数年後、同氏の紹介により不動産王ドナルド・トランプ氏と出会うことになる。

当時モデルをスカウトするために世界中を周っていたザンポリ氏は、ミラノのオーディションで会ったメラニア氏の印象を「賢さを備えたとても美しい娘だった」と振り返っている。「ニューヨークに来てマーケットに挑戦してみないか?」と尋ね、そこではもっと稼げるだろうと説明すると、メラニア氏は「非常に興味があります」と答えたという。

ミラノの裕福な家庭出身のザンポリ氏は、1994年に「エリート・モデル・マネージメント」の創設者、ジョン·カサブランカスと出会い、ニューヨークでモデルビジネスを立ち上げるよう勧められたとされる。マンハッタンのユニオンスクエアにアパートを借りたザンポリ氏はトランプ氏と知り合う。ナイトクラブ巡りの常連だった二人は意気投合し、VIP席で一緒にダイエット・コーラを飲み、セレブやモデルが溜まり場とするバーに一緒に出かけるなどしていたという。トランプ氏同様にザンポリ氏も浮名を流していたようだ。ゴシップ紙の読者にはなじみの存在だった。なお、モデルエージェントが2004年に行き詰まったことから、ザンポリ氏はトランプ氏の下で不動産業の手解きを受ける。トランプオーガニゼーションで「国際開発担当ディレクター」の肩書を得て、富裕層へのトランプブランドの物件の販売を手がけた。しかしながらこれは長続きせず、まもなく自身の不動産仲介業を立ち上げる。新事業ではモデル業と不動産仲介業を融合し、高級マンションの販売仲介に元モデルを起用して脚光を浴びた。もしトランプ氏と結ばれていなければ、メラニア氏も不動産販売をしていたかもしれない。