これが刑務所なら、まず刑期が言い渡されて収監される。後藤さんは、いつ解放されるのかさえわからなかった。監禁者も、いつまで監禁するか(たぶん)決められなくなっていた。そして31歳だった1995年9月11日から、44歳になった2008年2月10日まで監禁が続いた。12年5カ月前の靴だけを与えられ監禁部屋から放り出されたとき、後藤さんは骨と皮だけに痩せ細っていた。

家族が後藤さんを拉致監禁したのは、彼から信念と信仰を奪うためだった。しかし家族が独力で念入りな計画と難攻不落の牢獄を生み出したわけではない。脱会屋と呼ばれる人物と牧師たちが、拉致監禁の手法と強制的に棄教させるプログラムを提供していた。これらは、いずれも裁判で明らかにされている。

後藤さんは実の兄の誘いで統一教会を知り信仰を始めた。まず兄が、両親と脱会屋と牧師らによる拉致監禁を経て信仰を捨てさせられ、後藤さんに続いて信仰を始めた妹も同じく棄教させられ、兄嫁も同様な棄教者だった。こうした棄教者のほとんどが、関与した牧師の宗派に改宗している。改宗させられるまでが棄教プログラムだったと言ってよいかもしれないほどだ。

監禁から逃れようとして高層階から落下した人や、激しいPTSDに悩み続ける人や、精神病院に幽閉されて得体の知れない薬物療法を受けた人もいる。たとえそうだったとしても、統一教会に嫌な感じがしている人がいて、拉致監禁されて当然と考える人が少なくない。しかし『死闘 監禁4536日からの生還』が出版された以上、読まずして、知らずして教団を批判するのは不勉強であり無責任となった。それほど同書は事実に満ちている。

なにしろ後藤さんが書いた原稿は、後藤さんの記憶だけでなく裁判で使用した資料と記録などを見返して何度も改訂された。編集の立場から、監禁についてBの出来事の後にAの出来事を説明すると読者の理解が捗ると感じたとしよう。こういった場合も後藤さんによって時系列が事実通りAの次にBと整理され、私も後藤さんの整理を尊重した。