夏目漱石(1867年2月-1916年12月)自身も、1900年に文部省から命じられて、英語教育法研究のため英国に留学した翌年に神経衰弱に罹り、1902年の暮れに帰国を余儀なくされた。この病は14年後に50歳で亡くなるまでずっと漱石を悩ませ続けた。

さて、その漱石が「現下の如き愚なる間違った世の中」と書いた1906年6月までの一両年に起こった出来事といえば、漱石は05年1月1から『ホトトギス』に処女作『吾輩は猫である』を連載し始めたが、勿論そのことではない。が、時あたかも日露戦争の真っただ中であった。

戦争は1905年9月5日のポーツマス条約締結で終結したが、条約の内容に不満を持つ者ら数万が暴徒と化し、日比谷焼き討ち事件などが起きた。このため、9月6日から11月29日まで東京に戒厳令が布かれる事態になったから、恐らくそうした世情を指すのではなかろうか。

そこで話は2025年の「愚なる間違った世の中」を報じる2月4日の『産経』記事のことになる。

先ずは「中国人向けビザ緩和巡り自民が遺憾の意を伝達 岩屋外相『指摘を重く受け止める』」との記事だ。先般訪中した岩屋外相が、手順を踏まず半ば独断で中国に請け合ったとされる中国人向けビザの緩和措置につき、自民党の中曽根外交調査会長らが党側に強い不満があることを直接外相に説明し、遺憾の意を伝えたというのだ。

外交調査会と同部会の合同会議で「中国人の訪日が増え、オーバーツーリズムが深刻化するといった懸念や、党側に事前に報告がなかったことに対する不満が噴出した」ことに、岩屋が「多分に誤解がある」と会見で述べたことで、「誤解などしていない」と火に油を注いだのだ。

折しも石破総理がトランプ大統領と会見すると報じられたが、トランプは大統領選挙中から中国に追加関税を課すのと公約通り、1日に10%の追加関税を課す大統領令が出したところ、中国も報復関税で対抗した。つまり、岩屋外相の独断は内容もタイミングも最悪なのである。