こういう主張には、“ちょっと待った”と叫びたくなるのだが、それは抑えて、本書を読み進もう。いくつかの重要な示唆が得られるのである。

この10年、資本主義の限界をテーマとする主張はたくさん展開されている。“終焉”という言葉の響きに魅せられて多くの論者が本や論文のタイトルにこの言葉を使用しているが、“期待”を持って読んでみると、たいていの場合、終焉に至る論理も、その後どうなるかも示されていない。なにより、何が終焉を導くのかを説明していない。

環境問題のような資本主義の外側の要因から説明するものはあっても、内在的に、つまり資本主義の持つ内的な理論・支配的な様相そのものが原因になって“おしまい”になるとの主張は『資本論』以外にはほとんどなかったのである。

情報化は現代の資本主義に特有のものであり、その発展の過程で内的に生み出された現象である。それが、発展をもたらすと同時に終焉をもたらす。著者の意識の程はわからないが、いかにも弁証法的な主張が興味を引く。

もうひとつ事前に述べておこう。それは本書のタイトルにもなっているし、本文中にいたるところで使用される“価値”という言葉の使い方についてである。

著者の“価値”は、『資本論』で使われているものとはまったく違う。

『資本論』における価値は、論理展開の基礎におかれ、厳密な内容を持っているが、著者の価値は、ごくごく一般的に使われている日常語のそれに近い。それは大切なもの(形はなくても)、うまく使用するとその人の幸福度が上昇するものである。私達が日常会話で、これは価値がある、などという際のそれである。経済学の用語に近づけてみれば、使用価値、効用であろう。

著者の主張する価値はこういうものであるということを前提として、そうでない“価値”概念を持っている読者も一端はそれをおいて、本書を読みたいと思う。

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第1章~第2章

情報化で発展を続けていると思いきや、資本主義は縮小している。