「生者に対する名誉毀損」と「死者に対する名誉毀損」
刑法230条は、1項では「名誉」、いわゆる外部的名誉を毀損する行為、人に対する社会的評価を低下させる行為を名誉棄損罪として処罰することとしている。ここでは、摘示した「事実の有無にかかわらず」処罰される。
そのため、1項の故意は、「公然と」「人」の「社会的評価を低下させるような具体的な事実」を「摘示する」ということの認識が要求されるだけであり、そうした摘示をすることについて「未必の故意」(「~かもしれないが、そうであっても構わない」との意思)があれば犯罪が成立する。
そして、そのような犯意をもって名誉毀損行為を行えば、それだけで犯罪の構成要件は充足するが、その目的が専ら公益を図ることにあった場合、「事実が真実であることの証明があったとき」は、違法性阻却事由となる。
真実性の証明ができない場合であっても、行為者がその事実を真実であると誤信し、誤信したことについて確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないとされている(最高裁昭和44年6月25日判決)。
つまり、摘示した事実が真実であっても名誉毀損罪は成立するが、公益を図る目的で、なおかつ行為者側が、「真実であること」、「真実と誤信したこと」について相当の理由がある場合には、犯罪の成立が否定される。
一方、同条2項の「死者」 に関する場合は、「虚偽の事実の摘示」のみが処罰される規定となっており、単に、死者の社会的評価を低下させる事実を摘示しただけでは名誉毀損罪は成立しない。摘示する事実の虚偽性の認識も必要になる。
問題は、死者の名誉毀損罪についての「虚偽の事実の摘示」の犯意について、未必の故意で足りるのか、確定的故意(確定的認識)を要するのか、である。
この点について、判例はなく、学説は分かれている。