しかし、2010年に発足した保守党・自由民主党の連立政権は調査委員会の設置を却下した。事実解明よりも「ロシアとの経済・貿易を優先するようになっていた」のである(『プーチンに勝った主婦マリーナ・リトビネンコの闘いの記録』)。
2012年、当時毎日新聞の欧州総局長(ロンドン駐在)だった小倉氏は、マリーナさんと初めて会った。
「『普通の主婦』を自認する」マリーナさんがロシアの「指導者相手に立ち上がった」。その紆余曲折の過程を小倉氏は綴っていく。いったい、何が彼女にプーチン政権に立ち向かう勇気をもたせたのだろうか。
マリーナさんはあきらめなかった。国際情勢の変化もあって、2014年、独立調査委員会の設置がとうとう実現した。
プーチン大統領が殺害を「おそらく」承認委員会が報告書を出したのは、2016年である。
報告書は、ルゴボイ容疑者とコフトン容疑者がロンドンのホテルでリトビネンコ氏の飲み物にポロニウム210を混ぜ毒殺したと断定した。
調査委員会のロバート・オーウェン委員長は、この2人が暗殺を実行したのは「確か」だとし、ロシアの情報機関・連邦保安庁(FSB)の指令の下で行われ、FSB長官とプーチン大統領が承認していただろうと語っている。
原子炉からしか得られないポロニウム210が毒殺に使用されたことは「どう見ても国家の関与を強く示唆する」からだ。
動機については、リトビネンコ氏が英国の情報機関のために活動し、FSBやプーチン大統領に対する批判をしていたことや反体制派への関与を挙げた。
英当局は両氏への事情聴取をロシアに求めているが、ロシア政府は引き渡しを拒否している。
暗殺未遂、ウクライナ戦争、獄死独立調査委員会の報告書でロシア指導部によるリトビネンコ氏の暗殺がはっきりした。
リトビネンコ氏が暗殺された2006年、マリーナさんによる「プーチンが殺した」という表現はいささか突飛に聞こえた。しかし、その後の独立調査の結果や数々の事件を振り返ると、実は納得がいくものだった。