筆者は同氏がロンドン駐在時代に何度かお会いする機会があったが、とにかく、話が面白い。いつも笑い話を聞きながら、あっという間に時間が過ぎてしまう。

マリーナさんにも記者会見場や友人宅でお会いしたことがあり、好感を持ってきたが、筆者自身、「プーチン殺害説」は当初あまりにも唐突に聞こえたものだ。

英国への政治亡命

アレクサンドル・リトビネンコ氏は旧ソ連国家保安委員会(KGB)の流れをくむロシア連邦保安局(FSB)の職員だったが、1998年、FSBの幹部職員らが犯罪活動に組織を利用していると告発し、逮捕、収監された。

2000年、英国への亡命を余儀なくされたリトビネンコ氏は英国対外情報秘密情報機関(通称「MI6」)に協力するようになり、2006年には英国の市民権を獲得。マリーナさん、一人息子とともに生活の拠点をロンドンに作っていく。

リトビネンコ氏がプーチンやロシア政府の怒りを改めて買ったのが、02年に共著で出した本だった。1990年代末にモスクワで発生した連続アパート爆破事件について、当時、ロシアの首相に就任したプーチン氏はチェチェン独立派による連続テロとし、これを口実に軍事侵攻するが、リトビネンコ氏は爆破は「FSBによって仕組まれた」、「チェチェンを叩き潰し、プーチンの権力を揺るがぬものにするため」と書いた(『プーチンに勝った主婦マリーナ・リトビネンコの闘いの記録』より)。

暗殺の日の刻一刻

暗殺事件が起きたのは、2006年11月1日である。

ロンドン警視庁などからの情報をもとにしたメディア報道によると、この日、リトビネンコ氏は少なくとも2か所で人と会っていた。一つはロンドン・ピカデリーサーカス近くにある和食チェーン「itsu(いつ)」、もう一つはメイフェアーにあるミレニアム・ホテルのパイン・バーである。

ロンドンに住んでいると、itsuは非常に身近な和食ファーストフードのお店だ。そんなお店の一つに元スパイがいた、そして、そこで毒が入ったものが出されたとは驚きだった。リトビネンコ氏がランチを食べたitsuの店舗は、数カ月にわたって営業停止となった。