難破事故も忘れ去られようとしていた1773年、フランス海軍はようやくカステランの要請を聞き入れて、トロムラン島に救助船を派遣します。
ところがこの時の救助作業は島周辺の激しい荒波のせいで失敗。翌1774年にもう一度試みたものの、これも失敗。
トロムラン島はそれだけ自力で行くことが難しい海域にあったのです。
しかし1776年11月29日、若干25歳の若き船長ジャック=マリー・ブーダン・トロムラン(1751〜1798)の率いる船がついに島への上陸に成功します。
この時点でリュティール号の難破事故から実に15年が過ぎていました。
果たして生存者はいたのか?
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いました!
人数は随分と減っていたものの、島には7人の女性と生後8カ月の赤ん坊が生き残っていたのです。
救助に向かった船員たちは「船で島に送ろう」と話しかけると、女性たちは特に表情を変えることなく、無言のままボートに乗り込んだと伝えられています。
その際、島を振り返ることもありませんでした。
女性たちの話によれば、島に取り残された最初の数カ月間で、過酷な環境と見捨てられたことへの絶望から多くの人が亡くなったという。
中には残っていた木材で小さな筏を作り、18人が島を脱出したといいますが、彼らの生死は不明です。
ただ島の周囲の荒波を筏で渡り切ることは難しいため、波に飲まれて命を落とした可能性が高いと見られます。
さらに島に残った40人ほどもその後の10年間で約半数にまで減ってしまいました。
そうしてトロムラン船長の救助隊が着く頃には、生存者が彼女たちだけになっていたのです。
この事件が当時のフランスで話題となり、セーブル島は救助に成功したトロムラン船長にちなんで「トロムラン島」へと改名されました。