また天井にはリュティール号が残した木材を張ることで屋根とし、雨風を凌いでいたと見られます。
それからリュティール号の帆は人々の衣服に仕立て上げられていました。
それでも暴風の魔の手から完全に守られることは困難だったらしく、住居が何度も壊されては建て直された痕跡が見つかっています。
彼らは最終的に10棟ほどの住居をより集めるように密集させて小さな集落を形成していました。
リュティール号の木材は他に、火を焚くために慎重に利用されたこともわかっています。
また飲み水用に雨を受けるための器も見つかりました。
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食糧については周りが海なので「魚が主軸だろう」と思われましたが、意外にも遺跡から出土した動物の骨のうち、魚の骨はわずか3%に過ぎませんでした。
おそらく、釣り用の船がなかったせいで海に出ることが難しかったか、生存者の多くがマダガスカルの内陸部出身だったため、釣りの心得がなかったことが関係していると指摘されています。
一方で、出土した骨の90%以上を占めていたのは「セグロアジサシ」という鳥のものでした。
セグロアジサシは毎年7月から翌1月までトロムラン島に棲みつくので、その間の主食にしていたと見られます。
加えてゲルー氏らは「生存者たちは鳥や魚の他にウミガメを主食にしていた可能性が高い」と話します。
トロムラン島はウミガメの産卵地として知られており、警戒心が強く動きも俊敏な鳥よりも狩るのが圧倒的に簡単です。
また卵も貴重な栄養源として利用できます。
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ゲルー氏らの試算によると、生存者たちは15年の間に鳥を約9万羽、魚を約2500匹、ウミガメを約400匹食べたと見積もられています。