そしてこれを大いに支持したのがソ連の最高指導者スターリン(1878〜1953)だったのです。
こうしてソ連では1920年代から国全体でメンデルの遺伝学を否定し、ルイセンコの理論を支持する「ルイセンコ主義」が急速に拡大します。
その中でメンデルの遺伝学を研究していた学者たちは仕事をクビにされたり、牢獄に収容されたりしたのです。
そのせいで死に至った遺伝学者も多くいました。
ベリャーエフの実の兄で遺伝学者だったニコライもこの時に命を落としています。
ベリャーエフ自身も周りにバレないようこっそりと遺伝子の研究をしていたのですが、1948年にバレて一度クビになります。
ところが1953年にスターリンが死去したことで、ソ連内での遺伝学の規制が徐々に緩和されていきました。
そしてベリャーエフは1958年、シベリアに新たな遺伝学研究所を創設し、本格的に遺伝子の研究を開始します。
そこで彼が着手したのが「家畜化実験」でした。
では、ベリャーエフが家畜化の実験台に選んだ動物は何だったのでしょうか?
「家畜化実験」の始まり
家畜化は飼育とはまったく違います。
飼育は動物の性質はそのままに、餌や住居を与えて育てることです。
なのでライオンやトラなど、飼育はできても獰猛な性格を遺伝的に変えることはできません。
一方の家畜化は、ある特定の性質(大人しいとか人懐こい)を持った個体同士をかけ合わせ、それを何世代にもわたって繰り返すことで、その動物自体を人間が管理しやすい種に変えてしまうことを意味します。
ただ家畜化は思ったよりも難しい作業であり、人類がこれまでに成功した例はわずかです。
6000種いる哺乳類の中でも家畜化できているのは数十種であり、その中でも世界中で家畜化できているのは「ウマ・ヒツジ・ブタ・ヤギ・ウシ」の5種くらいしかいません。