ところが大きな熱狂の末に生じた問題に、責任を取った者はいない。原発事故後のエネルギー政策の混迷と被災地への風評被害では、騒ぎを起こし広げた人々は後片付けをしないままどこかへ消えてしまった。仮に責任を取ろうとしても、謝罪したくらいでは事態は改善しない。石破禍も似た状況であり、フジテレビ問題だけが例外になるはずもない。
だから正義に酔いしれ、正体を失うのはまずい。
ここまで説明しても、熱狂しやすい素朴な人々は「フジを許すのか」や「批判を口封じするつもりか」と言い出すはずだ。こういったフジ問題を騒動として消費したい人や、キャンセルカルチャーを発動しようとする人や、戦果を横取りして誇りたい人を説得できるとは思えないので言わせておくほかない。
そうだったとしても冷静にテレビ局批判をしたい人、事態を改善したい人は、熱狂に身を任せる人の中にフジ糾弾の行く末まで責任を持つ者はいないのを意識してもらいたい。すでにタレントが引退を表明したところでガス圧が下がり始めているではないか。
フジ問題は、当該タレントと被害者の関係や、局と業界の関係で収まらない。そして何があっても、私たちはすべてを引き受けなくてはならない。また、引き受けるところからが本番である。
編集部より:この記事は加藤文宏氏のnote 2025年1月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は加藤文宏氏のnoteをご覧ください。