フジテレビが女性アナウンサーを差し出してタレントを性的に接待したと週刊誌が報じた。しかも、かつて同局のプロデューサーだった系列局社長は会見でタレントへの怒りを問われ「そうとっていただいて結構です」と答えたほか、報道が憶測ではなく事実であるのを否定しなかった。
一連の報道から世の中の人々がテレビ局とタレントに違和感を通り越した気持ち悪さを感じ、問題視どころか怒りを覚えるのはあたりまえだ。
こうして着火した問題意識や感情が、正義を振りかざしていたテレビ局や、その正義で社会を団体を個人を批判したり嘲笑してきた番組の欺瞞にたちまち延焼していったのも当然だったろう。フジテレビの番組を提供していたスポンサーは火の粉を浴びるのを嫌って続々と降板した。
だが真相が解明され出来事の一部始終がはっきりする前から、熱量の高い興奮が始まっていた。当初は示談が成立しているのに守秘義務が破られるのはおかしいという声があり、民事上の解決と暴露についてさまざまな立場から声があがったが、いつの間にか前述の様子に一変した。
スポンサーの大撤退後もCMを流している会社に非難と憤りをぶつける者が登場した。フジテレビの放送免許を剥奪しろという声もある。さらに空っぽになったCM枠を埋め合わせた公益社団法人ACジャパンが批判されるまでになると、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い状態と言わざるを得ない。
きっと、「坊主憎けりゃ」と例える私も非難される。このうえ踏み込んで「熱狂している人たちは、テレビが振りかざしてきた紋切り型の正義や、スクラムを組んで批判する姿勢と変わりない同調圧力を発生させていないか」と問えば、不適切なフジテレビを擁護するのかと集中砲火を浴びるだろう。
今から13年10カ月前、日本は反原発と反被曝に熱狂し、被害を誇張しないで伝えた人や、冷静になるよう意見した人が東電を擁護するのかと問い詰められるだけでなく、中傷されたり暴力で威嚇された。