ほんの少しキー局の行く末を考えただけでも、これだけ影響が思い浮かぶ。この一例が悪影響か良い影響か、人それぞれだろう。
しかしマスコミをマスゴミと呼ぶ人たちでさえ、社会や世界の動向を知るのにマスコミを頼らざるを得ないのは、反原発と脱炭素を主張しても再エネだけでは生活も産業も成り立たないのと同じだ。正義への熱狂は、もたらされるものが善か悪か、必然か偶発か問わず、目の前に見えているもの以外にも余波が広がる。
では熱狂が何をもたらしたか、直近の事例を振り返ってみよう。
たとえば、収支報告書不記載を裏金と言い換えて税金泥棒のように印象操作が行われ、続いて石破首相を誕生させた遠因が、旧統一教会報道への熱狂だったのを忘れてはならない。
旧統一教会が献金やいわゆる「霊感商法」と呼ばれるもので被害をもたらしたとされるのは1990年代中頃までだったのはいまさら説明するまでもなく、教団や信者が自民党や国政を牛耳っていた事実はない。
しかし教団関係者と会っただけでズブズブと騒がれ、この論調を採用したワイドショー「情報ライブ ミヤネ屋」などで高視聴率が持続すると、岸田文雄氏は首相としての正当性を問われていると怯え、安倍派に圧力をかけたのがすべての発端である。
このとき政局を大きく左右した成功体験と大衆の熱狂的な支持を背景に、続編として不記載問題報道と安倍派叩きが加熱した。岸田氏は再び安倍派つぶしを試み、党中党として機能していた派閥を解体して首相続投を諦めて逃げ、自民党の議員たちは反安倍であり非主流派どころか孤立しているため批判されずマスコミ受けのよい石破茂氏を総裁に選出した。世間の熱狂を恐れ、自民党と自らの正当性を石破氏を掲げて守ろうとしたと言える。これによって弊害が大きくても、党中党が解体されたのだから石破おろしの圧力が上がらなくて当然だ。
特定の宗教だけでなく安倍晋三氏または自民党を嫌う人がいて当然だろうが、教団追及報道の異様な熱狂が巡り巡って「石破禍」を生み出したのは自覚してもらいたい。熱狂とは散弾銃を無闇に撃ちまくるようなもので、たとえ誰かにとって得るものがあったとしても、流れ弾が思わぬ結果を引き起こす。