これも近年、飽きるほど聞かされましたよね。いわゆる反緊縮ですが、「俺はリベラルだけど理想よりカネの話をする。なぜならリアルな政治を知ってるからだ(ドヤァ」みたいな話、散々あったじゃないですか。
彼らはもれなく、ニセモノでした。コロナ禍では「自由よりカネ!」と叫んで自粛を強要する空気を煽り、そのツケが後に弱者に及んで薬代がバカ高になっても、知らんふり。「ワクチンで死んだぁ? そんな人いるのぉ~?」と、人命よりカネ優先な態度だけは一貫してるみたいですが。
特にいま、公明党というと福祉を看板に「無償化」を謳う政党のイメージがあり、選挙の際もアンチとぶつかる争点になりがちです。しかし、そうした問いの立て方自体に、罠はないのか。
取材では、こうお話しさせていただきました。
万人が関心を持つ話題は金だけで、「とりあえず配るから後は各自バラバラでいいでしょ」とする姿勢は政治の自己否定とも呼ぶべき、最も貧しいケアのあり方だ。政治家が有権者に向かって「広く浅い手切れ金」をばら撒くようなものとも言える。1964年の結党以来、福祉を看板とする公明党がめざしてきたのは、そうした政治ではなかったはずだ。 子育て支援で言えば、すでに述べたとおり、いまや「結婚して子どもを持つ」というライフコース自体が自明ではない。生涯単身でいいという人も、結婚はするが子どもは欲しくないという人もいる。おそらくは性的指向が異性愛か同性愛かでも、捉え方に違いはあるだろう。 (中 略) 子育て予算を「ここまで多く引っ張った」と金額で実績を誇る姿勢では、容易に「子どものいない家庭はこんなに搾取されている」といった、180度逆の不満へと裏返る。 とりわけ心配なのは大学無償化だ。いまでも一部の極端な事例を挙げて、「生活保護の金はこんなムダに消えている」といったバッシングが報じられることは多い。間違いなく同様の形で将来、「私たちの税金で子どもを大学に行かせても、実際はこの程度」といった揺り戻しが起きるだろう。 そこまで見通した上で、全額税負担で支える価値のある大学や学問のあり方を考えている人が、どれほどいるだろうか。