しかし、ケアと政治が結びつくと、場合によってはネガティブなことになる。なぜなら――

かつて、長期に及んだ安倍晋三政権の下で「やってる感」という用語がはやった。安倍首相は仕事をしている「感じ」をアピールするだけで、実は大した実績がないと揶揄する言葉だったが、そうした批判者が忘れていたのは、ケアは「されてる感」が全てだということだ。 (中 略) ここに「ケア=自国の政府による配慮」を求める政治の特質と、難しさがある。気掛かりなのは、為政者が「極端な態度」を採ることで、「ここまでやってくれた!」とケアを得る有権者が増えていることだ。 そうした「極論によるケア」は、天然と打算とが半々の暴言を連発するトランプ氏の姿でおなじみだが、近日は日本でも類似の風潮が強まっている。

『公明』2025年2月号、8頁 (強調を付与し、段落を改変)

はい。安倍さんが靖国神社に参拝したのも、トランプが差別的なジョークを飛ばすのも、支持者にとってはそれが「ケア」だからです。ここを踏まえずにケアケア言ってると、「被害者をケアする」と称して加害者へのネットリンチに加わる人文学者になっちゃいますから、注意しましょう。

② SNSを使いこなす政党が「勝ち組」か?

昨年はSNSや動画配信を駆使した党や候補者が、予想外の成果を上げる例が多く、ネット選挙こそが「民主主義のブルーオーシャンだ」とする議論も増えました。また政治家に限らず、あの人は「いまやインフルエンサーだよね」というのも、新たな褒め言葉の定番になっています。