ただ幸いなことに、医療従事者の全員がコットンの嘘に騙されていたわけではなく、一部の精神科医は彼のやり方に懐疑的な眼差しを向けていました。
そしてコットンの病院の医療スタッフが患者を虐待している疑惑が浮上したことで、1924年にようやく調査委員会が組織されます。
この時点ですでにコットンが狂気の治療を初めてから17年の歳月が経っていました。
調査を率いたのは同じ精神科医であったフィリス・グリーンエイカー女史です。
彼女はコットンの手術記録を入手し、彼の過激な手術を受けた62名の患者のうち、17名は手術直後に死亡し、その他の複数名も術後数カ月で亡くなっていたことを発見しました。
精神疾患の改善が見られたのはわずかに5名であり、3名は改善が見られたものの症状が残っていました。他の数十名については何らの改善も見られていません。
さらにグリーンエイカーはコットンの病院から退院した元患者とコンタクトを取り、彼らにインタビューを実施していますが、その際に患者の多くが無理な抜歯によって滑舌が悪くなっていたこと、いまだに精神疾患の症状が残っていたことを確認しました。
彼女の調査報告では、コットンの手術による患者の死亡率は30〜45%に達していたと報告されています。
(ちなみにコットンは妻と2人の子供の歯も抜いていたという)
これを受けて、コットンにも直接的に取り調べが行われましたが、彼は都合が悪くなると発狂したフリをして、質問に対し適切に返答しなくなったといいます。
加えて、世間的にはコットンへの疑惑よりも、コットンの革新的な治療に対する称賛の声が大多数を占めていました。
結局、グリーンエイカーの報告書は問題にされることなく、時間と共に忘れ去られ、コットンは再び狂気の治療を再開し、アメリカやヨーロッパで講演を行ったのです。