『一九四六年憲法 その拘束』文春学藝ライブラリー、 142・149・159頁 自己同一性のルビは「アイデンティティ」

ところが70年代、デタントや米中接近で冷戦構造は大転換したのに、江藤の望む「対等な日米同盟への提案」が自国の政治家から出てこない。これはぶっちゃけ、俺らがかつての敵国アメリカときちんと戦い抜いてないからじゃね!? とカーッと来ちゃった江藤がのめり込んだのが、いわゆる「WGIPで日本人は骨抜きにされた」論です。

江藤の本業は、変転する時代の精神を小説から読み解く文芸評論で、不変の家族構造を統計的に復元するトッドとは正反対。ユーラシアの東西の両極で、互いに存在を知らなかった可能性も高いふたりの識者が、世界と自国への絶望を共有すると、考えることがここまで似てくる。

第二次大戦の終焉から80年。いま必要なのは、なぜこんな帰結に至るのかを説明する「新しい戦後史」です。トッドの名前こそ出ませんが、5月に刊行する拙著は、江藤を主役にそうしたドラマを描く叙述をめざしています。

共同通信でのトッド書評の結びは、次のとおり。「新たな敗戦」が近づくいま、現状を否認し他人のせいにしてばかりのニセモノではなく、ホンモノの言論を採り上げることが求められています。

だから敗れつつあるのは、ウクライナのみではない。西側のどの国でも、能力が高い人ほど公共心を捨てた。異論は力でつぶせばよいとするニヒリズムがまん延し、虚偽だと分かった言論でもビジネスになるならもてはやす。