『文藝春秋』2025年2月号、199頁 (強調は今回付与)
歴史人口学に基づき実体的な下部構造(マルクス主義の意味とは違うので、正確には「長期持続」)の重要性を説いてきたはずのトッドが、本書ではだいぶ「精神論」になっている。……と書くと悪口みたいですが、むしろその叙述は不思議と、日本人の心に刺さるものがあります。
EUでもオルバン政権下のハンガリーが、例外的に一貫して「親ロシア」なことは広く知られますが、よく考えるとこれは奇妙です。1956年にソ連軍に踏みにじられ、民主化を圧殺された過去を持つなら、むしろ隣国のポーランドのように「反ロシア」の先頭に立つのが自然ではないのか?
逆説めきますが、トッドの答えはこんな感じで――
ハンガリー人が、自分たちを激しく弾圧したロシア人を許すことができたのは、勇気をもって武器を手にロシア人と直接対峙できたからではないだろうか。……ハンガリー人が1989年に国境を開放し、鉄のカーテンを打ち破ることができたのは、この自信のおかげだった。今日、ハンガリー人が「ロシア嫌い」に陥らないのも、この自信のおかげなのである。
私がここで提示しているのは、厳密には実証困難な歴史的な仮説だ。しかし今日起きていることに対して、合理的かつ慎重な形で自らを方向付けるにはどうしても必要な作業なのである。
『西洋の敗北』大野舞訳、148-9頁 (算用数字に改定)
敵国と徹底的に戦い抜くことで得た「主体性」があるからこそ、これまた主体的に敵と和解し、盟友になる道を自ら選ぶこともできる。逆に中途半端にグチグチ、うちの国が苦しいのは「あいつのせいだ」とばかり言うのは、自立のできない甘えた国のふるまいで、責任転嫁にしかならない。