非常にお粗末な理由だとは思うが、それぞれの理由について考えてみる。

まず、1つ目の理由についてだが、成人式については、成人の日に行うことが一般的ではあるが、地域によっては、夏休みなどの帰省時期に合わせて実施されるような地域もある。

市川市の理由は、18歳を対象に成人式を行ったとしても、成人の日に合わせて実施することが前提に「できない理由」が示されているだけであり、できないので「新成人」でない世代を対象に行おうというのは、むしろ「これまで行ってきた成人式を継続することが、どうすれば正当化できるか」という後付けの理由に過ぎない。

ちなみに冒頭に書いたように、今年の市川市の「二十歳の集い(成人式)」は1月12日に実施されており、そもそも成人の日に行われていなかったりする。

後半の実行委員会の議論も的はずれである。なぜこれまで教育委員会が実施してきた実行委員会形式をこれまでと同様のスケジュールで実施することを前提とすることしか考えないのだろうか。

行政は本来、それぞれの政策・施策・事務事業の全てに政策目的があり、その目的に合わせて、それぞれをより政策目的が果たされる形で検討・実施されていかなければならない。しかし一方で、多くの自治体では、こうした政策形成が殆どできず、前例主義で昨年やったことを今年も同じようにと物事を考えようともせずに継続したりするものだが、そうした悪い意味での「お役所仕事」の象徴的な「できない理由」の羅列でしかない。

誰のための「成人の日」と、「成人式」なのだろうか

ここで念の為に言っておくが、私個人として、「新成人」を祝う気がないということではなく、個人的に振り袖を着ないでもいいのではないかと言っているわけでもない。これまでもその時代の若者の声を国や地域が取り入れていくべきだとし、その最前線で若者参画を求め続けてきた。むしろ今年も今後も、この国や地域のために、その未来を担う「新成人」をしっかりと祝い、むしろ祝うだけではない価値あるものにするべきだと思っている。