つまり、インフレで賄うことができるなら、少なくとも短期的には見かけ上は”痛みを伴わない方法”で公共支出を無制限に増やせるため、政治的インセンティブは必然的に「公共支出の乱発」と、民主主義の根幹を破壊し有権者を徹底的に萎縮させ腐敗させる「票の買収」という浪費とポピュリズムに向かうことになる。

アルゼンチンは、この非常に倒錯した現象の典型例である。

一方、FRBとECBでも規模は小さいものの、公的赤字のマネタイゼーション政策を採用しており、同様にこの現象を引き起こしている。

たとえば、ECBが「量的緩和」と「金利ゼロへの引き下げ」という超緩和的な金融政策を打ち出した瞬間、ユーロ圏のさまざまな政府は、それまで実施してきた必要な緊縮策や改革を即座に中止した。

どの政府も「痛みを伴う政策」という政治的コストを負担したくないのだ。

しかも、その政策を回避することで生じる通常の赤字が、権力者に何の負担もかけずに中央銀行が新たに発行する資金によって賄えるのであれば、なおさらである。

3. 新たな資金は特定の者に集中する

中央銀行が新たに発行する資金は、決して国民全員に平等に行き渡るわけではない。

まず最初に公共支出の支払いに充てられ、その結果、最初に融資された財やサービスの相対価格が上昇する。

最初に支払いを受けた財やサービスの相対価格が上昇し、結果的にごく一部の人だけが恩恵を受ける。

その負担は、購買力が下がることでその他大勢の国民が背負わされることになる。

最悪のケースは(実際は最も一般的なケースだが)、中央銀行が公的赤字の直接的なマネタイゼーションを、「流通市場(株式や債券)で公的債務証券(さらには他の固定・変動利付証券)を大規模に購入する」という一見オーソドックスな隠れ蓑で偽装することだ。

この場合、少数の人々への所得の再分配はさらに大きくなる。

中央銀行に人為的に法外な値段で有価証券を売却したり、金利が広く低下(ゼロまたはゼロ以下という中央銀行が強制的に引き下げた水準まで低下)することによって、固定利付証券やその他の資産、資本財の市場価値が急騰するためである。