これが「マンハッタン計画」と呼ばれる極秘プロジェクトです。
この計画は見事に成功し、1945年7月16日には世界初の核実験である「トリニティ実験」が行われています。
そして1945年8月6日、ウランを核材料とした原子爆弾「リトルボーイ」が広島へ、同年8月9日、プルトニウムを核材料とした原子爆弾「ファットマン」が長崎へ投下されました。
原爆による広島と長崎の死者数は合計で21万人を超えています。
このとき、アメリカは第3の原爆投下も計画していたのですが、8月15日の戦争終結により実施されることはありませんでした。
ここで使われなかった原爆の材料は直径89ミリのプルトニウムの球体です。
大きさはリンゴ程度ですが、重さは6.2キロもありました。
プルトニウムの球体は当初「ルーファス(Rufus)」という友達みたいなコードネームで呼ばれていたのですが、のちに「デーモン・コア(悪魔の核)」というイカつい名前に改称されるきっかけとなる惨事を引き起こすのです。
第一の惨事:プルトニウムの上にブロックを落としてしまい…
終戦後すぐの8月21日、マンハッタン計画の一環として原子爆弾の開発を進めていた「ロスアラモス国立研究所」に一人の研究者がいました。
彼の名はハリー・ダリアン(1921〜1945)、マンハッタン計画に参加していたアメリカ人物理学者の一人です。
ダリアンは戦争が終わったにも関わらず、プルトニウム球体「ルーファス」を使って危険な実験をしていました。
その実験のトンデモなさを理解するにはまず、ただの金属球に見えるルーファスがどれだけヤバい物体なのかを知っておく必要があります。
ルーファスは膨大な数の「プルトニウム239」という同位体でできており、これはウラン235と並んで非常に高い核分裂性を持っていました。